怠惰なゆっくり

Netflix 『ブラックミラー:バンダースナッチ』ネタバレ無しレビュー あるいは、ゲームの再定義

※この記事では物語の中身的なレビューはなるべく避けますが、最初はまっさらな状態で楽しむのが良いと思いますので未視聴の方はご注意下さい

あと、フローチャートとかは載せてないので攻略が必要な方は他をあたって下さい。

 

 

『ブラックミラー:バンダースナッチ』という映画

 

映画、と書いたが、このバンダースナッチという作品が果たして映画かどうか、人によって意見が分かれる所だ。

 

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このNetflixオリジナル作品は、こんな注意喚起から始まる。

ストーリーの要所要所で字幕の欄に選択肢が現れ、任意の選択肢をクリックすることで展開が変わる、と言うのだ。

 

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最初の選択肢

 

選択肢は結構な数が用意されていて、視聴者の選択に応じてシームレスに物語が展開していく。

選択による映像の中断や乱れ、無理のある繋ぎなどは(視聴環境にもよるだろうが)ほぼなく、スムーズな体験が可能だ。

こういった視聴者参加型の作品はNetflixでは一応前例があったらしいが、このシステムを主軸に置いた作品は初めての試みである。

 

ひとまず、この作品そのものの感想を述べておくなら、『ブラックミラー』シリーズらしい、中々後味の悪い、それでいて完成度の高い映像だと思う。

特別面白い訳ではないが、退屈な訳でもない、時間があるなら観る価値はある――そんな作品だ。

――『バンダースナッチ』が普通の映画ならば、の話だが。

『バンダースナッチ』の中身そのものの感想はこれくらいに留めて、本題に移る。

 

『バンダースナッチ』の成立

 

『バンダースナッチ』が成立したのは、ひとえにNetflixというプラットフォームありきなのは間違いない。

従来の劇場で上映する前提の映画で、選択肢に合わせて物語が変化する作品が成立するはずもなく、「家で」「少人数で」「自由に」「PC/スマホ/タブレットで」映画を視聴する、そんな21世紀のプラットフォームでしか出来ない企画だっただろう。

ところで、そんな普通の劇場で上映出来ない『バンダースナッチ』は、本当に「映画」と呼んでいいのだろうか?

 

この『バンダースナッチ』の概要を聞いて、オタクの皆さんは確実に何らかのADV(アドベンチャーゲーム)をイメージしたことと思う。

 

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僕のバイブル、『そして明日の世界より

思い浮かべたゲームが何であれ構わない。

Kanon』でも『サナララ』でも『ひぐらし』でも『シュタゲ』でも『yu-no』でも、話題になった『ドキドキ文芸部』でも『Fate』でも、なんなら『FGO』でもいいのだが、要するに『バンダースナッチ』のこのシステム自体は斬新でも何でもなく、むしろ古から存在する陳腐なものなのである。

 

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『街 ~運命の交差点~』

中にはこんなゲームまである。

実写の渋谷を舞台に、サウンドノベル形式でゲームが展開する『街 ~運命の交差点~』は、正に「プレイする小説」というのが正しいだろう。 

ところで「プレイする小説」と言えば、根強い人気を誇るゲームブックは外せない。

 

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そもそも『ブラックミラー:バンダースナッチ』自体、謎のゲームブック『Bandersnatch』をゲーム化しようとする物語なので、『バンダースナッチ』との関わりが一番大きいのはゲームブックだろう。

『バンダースナッチ』のエンディングの一つに「ゲームブック『Bandersnatch』をゲーム化したPCゲーム版『Bandersnatch』をリメイクしてNetflixで『ブラックミラー:バンダースナッチ』を作成しようとする女性エンド」という果てしなくややこしいものがある以上、『バンダースナッチ』を製作したNetflixの意図は「ゲームブックの映像化」という所で間違いないと思われる。

 

「実写版ゲームブック」は映画か、ゲームか

 

『バンダースナッチ』が「動画」であるのは間違いない。

しかし、この作品を観た後「いい映画だった」となるのか、「いいゲームだった」という感想を持つべきなのか。

 

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『バンダースナッチ』の視聴を止め、最初から再生しようとするとこんな事を聞かれる ――セーブデータが消えますが、大丈夫ですか?

実際、この作品はかなりゲーム的だ。

選択肢を選べる時間はシーンによって異なり、視聴者を焦らせてきたり、あるいはメタ的な視点の選択を迫られる事もある。

ストーリーは激しく分岐し、全てのエンディングを観るには「周回プレイ」が必須である。

 

一方、間違いなくゲームでありながら『バンダースナッチ』よりゲーム的でないゲームもある。

 

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『September 1999』プレイ画面

これまたつい最近話題になった『September 1999』は、STEAMで配信されているフリーゲームだ(びっくりホラーじゃない&面白いのでやってみて下さい)。

 

store.steampowered.com

 

プレイヤーは不気味な家に放り込まれ、何も分からないまま家の中を探索する。

プレイヤーに出来るのは移動とカメラを動かす事のみで、ゲーム自体はプレイヤーの意志に関わりなく、勝手に進行していく。

 

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映像は最近流行のVHS調で、ほぼ実写同様の高クオリティだ。

ところで、ストーリーに介入出来ない実写同様の映像というのは、果たしてゲームと呼べるのだろうか。

『September 1999』の場合、WASDとマウスで操作するFPS然としたゲームとなっているのだが、それは殆どカメラを置く位置を自由に変えられる程度の意味合いしか持たない。

 

『September 1999』と『ブラックミラー:バンダースナッチ』を単純に体験として比較するならば、後者の方がよりゲーム的なのは疑いない。

しかし、実際には『September 1999』はゲームとしてSTEAMで、『バンダースナッチ』は映画としてNetflixで配信されている。

 

この両者の違いはどこにあるのだろうか。

 

拡散するゲーム

 

まあ、多分違いは無いんだろうなと思う。

三目並べの『Bertie the Brain』に始まったビデオゲームは、数十年の熟成を経て今ある形にある意味落ち着いたが、それはあくまで「何だかんだビデオゲームってこういうもんだよね」という曖昧なものに過ぎず、誰かが「これがビデオゲームです」と明確に定義したものではない。

大衆が「これはゲームだ」と判断すればそれがゲームになる――そんな現代の怪異みたいな話がしたい訳では無いのだが、つまる所Netflixは『バンダースナッチ』という新しいゲームを世に送り出したに過ぎないと、とりあえずそういうことを書いておきたい。

案外Netflixを舞台にどこかのインディーゲーム会社がゲーム映画を配信して、数年後のGOTYで紹介されたりするのかもしれない。

正直、『バンダースナッチ』が完璧な「ゲームブック・ムービー」だったとは僕には思えないが、誰も試していなかった事に挑んだのは大きいだろう。

世界最大の動画配信プラットフォームを持つのみならず、自ら莫大な投資をしてオリジナル作品を製作するNetflixだからこその挑戦は受け入れられるべきだ。

 

という訳で、皆『ブラックミラー:バンダースナッチ』観てね。

もう観た人は、はてブで思わせぶりなエントリーを書きまくろう!

 

 

以上です。